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【法住寺】

法住寺
三十三間堂の東にある天台宗寺院・法住寺(ほうじゅうじ)。

法住寺
後白河上皇の御所として利用されました。大石良雄も祈願した身代わり不動もあります。赤穂義士討ち入りの日でもある12月14日には義士会法要が行われます。

法住寺


天台宗 法住寺
永祚元年(九八九)に藤原為光が、その夫人と自女祇子(花山天皇女御)の菩提を弔うため建てた。
当時は、北は七条通、南は八条通、東は東山山麓、西は大和大路に及ぶ広大な地域を占めていた。
保元三年(一一五八)後白川天皇は法住寺の地を更に拡張し、院の御所と定められ、上皇となって住まわれた。永暦元年(一一六〇)新日吉神社、新熊野神社を創立され、長寛二年(一一六四)には平清盛に命じて蓮華王院(三十三間堂)を造営された。
明治維新後、後白川天皇陵が宮内庁所管となったので、御陵と寺域を別にして大興徳院と改め、渋谷より旧比叡山西塔無量院安置、親鸞上人自作の阿弥陀如来像とそばくい御真影木像を移した。
昭和三十年に法住寺の旧号に復した。
本尊身代り不動明王は、方除ヶ等災厄の身代わり利生により朝野の信仰を集め、後白河天皇は守護仏として崇められた法住寺を復興された。


法住寺


赤穂浪士の大石内蔵助良雄も義拳の成就祈願しており、四十七義士木像を安置する。平成三年、法住寺陵御前後白河法皇木像造
サザエさん作家長谷川町子菩提寺でもある



【地図・アクセス】
京都市東山区三十三間堂廻り町

【ホームページ】


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