【安楽寺】

哲学の道近くにある安楽寺(あんらくじ)。浄土宗単立寺院です。

松虫・鈴虫の出家をきっかけに住蓮房・安楽房は処刑されました。7月25日には「鹿ケ谷かぼちゃ供養(ししがたにかぼちゃくよう)」を行います。

安楽寺
住蓮山と号し、浄土宗の寺院である。鎌倉時代の初め、現在地より東一キロメートルばかりのところに、法然上人の弟子住蓮房、安楽房二僧が念仏道場を建てて人々に念仏をすすめた。たまたま、後鳥羽上皇の宮女松虫、鈴虫両娘が救化をうけてひそかに出家する事件がおこり上皇の立腹をうけ「念仏停止」の宣下によって二僧は死刑、法然上人は土佐へ親鸞聖人は越後へと配流された。これがいわゆる建永二年(一二〇七)の法難であるが、下って室町時代の末、天文年間(一五三二〜一五五五)二僧の供養のため伽藍をこの地に再興したのが当寺である。本堂には本尊阿弥陀二尊像を安置し傍に住蓮・安楽両上人・松虫、鈴虫両娘の座像、法然上人張子の像等をまつっている。また、境内右手に住蓮・安楽両房の五輪石塔、東方山林中に松虫・鈴虫両娘の五輪石塔がある。
住蓮山と号し、浄土宗の寺院である。鎌倉時代の初め、現在地より東一キロメートルばかりのところに、法然上人の弟子住蓮房、安楽房二僧が念仏道場を建てて人々に念仏をすすめた。たまたま、後鳥羽上皇の宮女松虫、鈴虫両娘が救化をうけてひそかに出家する事件がおこり上皇の立腹をうけ「念仏停止」の宣下によって二僧は死刑、法然上人は土佐へ親鸞聖人は越後へと配流された。これがいわゆる建永二年(一二〇七)の法難であるが、下って室町時代の末、天文年間(一五三二〜一五五五)二僧の供養のため伽藍をこの地に再興したのが当寺である。本堂には本尊阿弥陀二尊像を安置し傍に住蓮・安楽両上人・松虫、鈴虫両娘の座像、法然上人張子の像等をまつっている。また、境内右手に住蓮・安楽両房の五輪石塔、東方山林中に松虫・鈴虫両娘の五輪石塔がある。
【地図・アクセス】
京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町
【ホームページ】
安楽寺HP
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